一般社団法人 グローカル政策研究所

阿部孝則の『寡黙な麻雀王者』

第26回連載

新しく麻雀店を経営することになった私はオープンに向け日々準備に追われていました。
私は当初の営業形態はリスクの少ない形を考えていましたが、それは知人には承諾してもらえませんでした。
最終的に知人の希望に沿う形がとられることになるのですが、今思えばこの時点で
『それでは僕にはできないです!』
とキチンとお断りしておくべきでした。
私はこれではかなり厳しいだろうと思いながら流されて引き受けてしまったことにとても後悔しています。
しかしながら当時は3度目の離婚直後というのもあり、お世話になっていた知人からのお話というのもあり冷静な判断ができなかったのだと思います。
しかしながらお店の内装や営業許可の取得などは割と何事もなくスムーズに進んでいきました。
また設備投資等はなるべく抑える形で準備を進めていきます。
そして準備から3ヶ月ほどたった7月の中頃にオープンの運びとなります。
オープンして何日かは声をかけていた友人や知人が来てくれたりしましたがやはり客足はまばらになっていき当然のように来客がない日も出てきます。
お店の前や少し離れた大きな通りに出てのティッシュ配りやポスティングなどは毎日のように行いましたがそう簡単に効果が表れるものではありませんでした。
やはりと言えばやはり経営状態はかなりきびしくこのままでは先は見えています。
数ヶ月分の運転資金はありますがこのままではジリ貧です。
自分の中では手は尽くしたつもりでしたがやがて運転資金は底をつきます。
知り合いと今後について話し合いましたがもう少し頑張ってみようという結論に至ります。
しかし今思えば、この辺りもまた違う選択が出来たところです。
また新たな融資を受け更に数ヶ月頑張ってはみたものの結局オープンから 1年と持たずにお店は廃業に追い込まれます。
私には数百万の借金だけが残ってしまい、そしてかなり疲弊していました。
更に職を失った私は他の知り合いに新たな勤務先となる雀荘を紹介してもらおうとまず誰に連絡をとるかを考えます。
今住んでる浅草橋からそう遠くもないところで昔の知人の友人が経営する雀荘が門前仲町にありました。
昭和の場末感ある今どきは珍しい中々のお店でしたがこういうのも悪くないと思いしばらくお世話になることにします。
給与や勤務形態は決して好条件とは言えませんでした。
が精神的にはむしろ楽に見えたんだと思います。
しかし私はこの時自分では気が付かないうちに思っている以上の精神的ダメージを受けていたようです。
この門前仲町のお店で私は最初の月はちょい負けくらいでした。
最初のうちはまぁこんなものだろうとあまり気にしていませんでした。
が、その後何ヶ月もの間私は負け続けました。
こんなはずではない。麻雀でこんなに負け続けるなんで今までなかった。
こうなると不思議なもので負のスパイラルは連鎖していきます。
独りでいることの弊害もあり思考がネガティブな方へ傾いてしまい物事をポジティブに捉えることが難しくなっていきます。
この頃は競技麻雀の成績も著しく悪く、自分が何のために生きているのかもわからなくなるくらいに経済的にも精神的にも追い込まれていました。
どうするか悩んだあげく私は最終手段である母親に連絡をとることにします。
幸いなことに私には東京の片田舎に実家がありました。
私は母親に連絡をとりしばらく帰らせてくらないかと頭をさげます。
この歳になって母親のお世話になるとは何とも情け無い話ではありますが、恵まれているわけですし感謝しなくてはいけません。
勤務先となる雀荘も他団体の後輩が経営しているお店が実家近くにありそこに勤務させてもらうことになります。
実家から都心までは約 1時間半かかりますが週末の行事で通う分には問題ありません。
実家での生活も新しい職場にも慣れ始め週末の競技活動も表向きは問題なく行えていました。
そして私は今後自分がどうしていくべきなのかをずっと考えていました。
精神的ダメージを負っていたのは間違いありませんが、それはその時の自分ではあまり解らないことでもあります。
この時が1番引退を考えていた時でもあり、同時にまだ捨てきれない想いもありました。
引退はいつでもできる仮にボロボロになったあとでも良い。あと1年頑張ってみるか?
などと騙し騙し続けていたように思います。

実家に戻り4年ほどたっていたでしょうか。
RMUの試合後の打ち上げでそれぞれの現状の話になります。
今の職場も条件面は決して優遇されてるとは言えませんでしたが特に不満があるわけではありませんでした。
しかしチェーン展開している他店の話を聞いた上で計算してみると条件面でかなりの差があることを思い知ります。
私はそのチェーン店で長く社員として働いているRMUの後輩に連絡をとり条件面の詳細と勤務は可能なのかを聞いてもらうことにします。
勤務するとなると毎日違うお店に行かなくてはならない事と都内にお店が集中しているため通勤に1時間以上かかることが懸念材料としてありました。
しかし勤務可能ということと思っていた以上に条件が良かったため即決でお世話になることにします。
勤務地は新宿、池袋、赤羽、吉祥寺、町田、多摩センターなど様々ですがいずれも1時間前後の通勤時間がかかります。
しかし接客をしなくて良くただ麻雀をしていれば良いというところはこの時の私にとってはとても楽な条件でした。
数ヶ月が経過しほぼ負けた月はなく成績はとても安定していました。
精神面でもだいぶ復活してきたように思えました。
そしてあの時こちらに来るという選択も当然ありました。
今更言っても仕方のない事ですが、かなり無駄な時間を過ごしてしまったようです。
私は全ての物事において要領が良いとは言えず上手く立ち回れるタイプの人間ではありません。
毎度の事ではあるし自分の事なのでもう慣れてはいますが、もう少し上手くやれないものかと毎度のように思ってしまうのでした。

第27回連載へ続く...

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