一般社団法人 グローカル政策研究所

阿部孝則の『寡黙な麻雀王者』

第24回連載

RMUは5年目を迎え私は45歳になろうとしていました。
会員数は少しずつ増えてはいるもののほぼ横ばい状態といったところでした。
相変わらず競技麻雀の普及や公式戦の出場、運営など地道に活動をこなしていく日々が続いていました。
しかしこの頃大きな事件がおきてしまいます。
数年前に土田さんらが退会された時もそれは大事件でしたが、今度は事務局長としてRMUに尽力してきた室生さんが突如として退会したと多井さんから聞かされます。
『室生が?!え?!何があったの?』あまりにも突然の報告に私は耳を疑います。
室生さんは多井さんと同い年であり2人は親友と言えるほどの間柄でした。
RMUの発足やその前の段階から多井さんの右腕的な存在である室生さんがRMUを辞めるなどということは私には到底考えられません。
2人の間に何かがあったのは明白でした。しかしこの時多井さんから具体的な回答はなされませんでした。
事務局長という重要な屋台骨を失ったRMUは、まず体制を立て直さなくてはなりません。
しかし事務局長という重要なポストを任せられるような人材はこの時のRMUにはいなかったのです。

この頃私自身も競技選手としてのモチベーションが昔のように上がってこなくなっていました。
私は正直今まで自身が残してきた実績に満足してしまっているところがありました。私にとっては出来過ぎとだと思っていたからです。
この先みっともない姿を晒すようなら競技選手としては引退した方が良いのかも知れない。
そんなことを考えるようになっていました。
そうなると競技選手だけ引退し運営や指導などをするためにRMUに残るか、RMUも退会しきっぱり競技麻雀から足を洗うかの2択になります。
数ヶ月の間1人悩んでいた私はまず妻にこの事を相談することにします。
自身の気持ちを正直に話し引退を考えていることを打ち明けます。
しかし妻からは当然のように反対されます。そして少しの話し合いもされました。
しかしこの時の私はそれをモチベーションに自身の力に変えることができませんでした。
私はそれくらい追い込まれた精神状態でした。
数日後多井さんと電話で話すことにします。
引退を考えていることを話すとこちらも当然のことながらちょっと待てという話になります。
こんな私でも引き止めてくれる人がいることはとても有難いことです。
小一時間くらい話したでしょうか、私は多井さんに説得され退会や引退は思い留まります。
しかし気持ちはそう簡単に切り替わりません。
更に数ヶ月が過ぎたある日の夜のことでした。
ここのところの妻の態度がおかしいのは気づいていました。
私は少し覚悟を決めどうしたのか聞いてみました。
すると案の定離婚したいと告げられてしまいます。
もう気持ちがなくなっちゃったし無理かなって思う、と。
私がいつ頃からそう思ってたのかと聞くと
引退するって言ったときかなと言われます。
なるほどそうだよなぁ。
私は妙に納得していました。
歳が2回りも違えばジェネレーションギャップは当然ありました。
しかしそれが原因ではありませんでした。
私は妻に夢を与え続けることが出来なかったのです。
妻にとっては私ごときでも麻雀界のヒーローであったに違いありません。
私はヒーロー失格となり、妻に辛く苦しい時間を与えてしまいました。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
私たちは結婚してから2年足らずで離婚することになります。
彼女の22歳の誕生日を祝う事はできないまま彼女は出ていきました。

また1人には少し広い部屋に取り残されてしまった私。
そんな時知り合いから連絡が入ります。
麻雀店を一緒にやらないかということを前々から言われていたのですが、リスクが高すぎるのでずっとお断りしていたお話でした。
ですが独り身に戻ったことで思い切ったことに挑戦できる最後のチャンスかも知れないこと、そして何か環境を変えるのは良いことのように思えてしまったです。
私は知り合いの執拗な説得に半ば根負けするようなかたちであれだけ断り続けていたお話についつい乗ってしまったのです。
こんな風に新しい何かを始める時や忙しくしていると色々な余計な事を考える暇が当然なくなります。
この時の私にとっては良かったように思えます。
しかし人生においてあまり後悔したことのない私でもこの選択だけはするべきではなかったと今でも思っています。

しばらくは営業許可の申請など開店の準備に追われる毎日でした。
警察に行ったり内装業者との打ち合わせなどやらなければいけないことは山ほどありますが2ヶ月後のオープンを目指していました。
お店は蔵前にあったためしばらくは行徳から通っていました。
しかし共同経営者となる知り合いの勧めもあり、6年ほど住んだ行徳から浅草橋に引っ越すことになります。
家賃は行徳の時より高くなったため負担は大きくなりましたが、浅草橋駅に近く秋葉原駅でさえ歩いて行けるところで交通の便は非常に良いところでした。
引っ越すにあたり荷物の整理をしていると数々の思い出の品々が次から次へと出てきます。
約10年ちょっとで2人分のそれらを夕陽が差し込む部屋で眺めてはその時の事を思い出していました。
まるで時間が止まってしまったかのようにも感じられます。
しかしそんな事女々しいことをいつまでも言ってるわけにはいかないのです。
気持ちの整理をつけ次のことに目を向けて行かなければなりません。
パートナーや麻雀のこと私自身の問題は山積みでした。
しかし次第に今できることをやっていくしかない、そんな風に思えるようになっていくのでした。

第25回連載へ続く...

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