一般社団法人 グローカル政策研究所

阿部孝則の『寡黙な麻雀王者』

第22回連載

RMUが発足してから数年がたちましたが会員数はまだ100名前後といったところでした。
私自身も40歳を過ぎたあたりから色々なところで衰えを実感し始めていました。
自分ではまだまだ若いつもりでいたのですが、物忘れが多くなるなどの記憶力の低下は言うまでもなく、例えば持ったグラスを滑らせて倒してしまうなど若い時には決してなかったことがおきるようになってしまい、そう感じずにはいられなくなるところまできてしまっていたのでした。
私は20歳で日本プロ麻雀連盟に入会してから競技プロとして活動しやすいよう、その活動を理解してくれるオーナーであったりそういう方針の麻雀店を選んで勤務してきました。
当時は今ほど試合は多くありませんでしたがそれでも他のスタッフより休みを多くとらせてもらったり勤務時間を短くしてもらったりしていました。
もちろん給与面では他のスタッフより少ない設定にされてしまうため給与の良い高レートの麻雀店を選んで勤務していました。
しかし給与が良いのは負けなければという前提がつきます。
月のトータルで成績をまとめれば最終的には問題ないのですが、途中の段階で負けが込んでくると精神的にかなりこたえます。
その中で平常心を保ちながら接客をし、職場での人間関係をこなしていかなくてはなりません。
どうやっても成績が悪く立て直せない月もありますが、月単位である程度成績をまとめ上げないと生活に支障が出てしまいます。
今思えばこんなことを20数年もよくやってきたなと思います。
私はおそらく少し疲れていたのでしょう。精神面の安定のためそれまで割と長い年月お世話になった高レートのお店を退店し低レートのお店に移ることにします。
給与面では少しダウンしますがレートが低い分今までよりは気持ちが楽になります。
またお店を移るのと同時にそれまで住んでいた門前仲町より家賃がかなり安くすむ行徳に引越しをすることにします。
この頃私は再婚をして一緒に暮らしている人がいました。
これらのことも私一人の判断ではなく2人で話し合って決めたものでした。
彼女は競技プロという私のことをとても良く理解してくれていました。
そして誰よりも私のことを応援してくれていました。
私だけの収入では安定しないため彼女も働きに出てくれていました。
私が試合と運営をやらなくてはいけない日など彼女は休みの日も少ない手当てで運営のお手伝いをしてくれていました。
喧嘩も良くしていましたが私はそんな彼女にとても感謝していました。
少ない人員でやっていた頃のRMUにとっては非常にありがたい存在でもありました。

まだ少し肌寒い頃の3月27日は安藤満さんの命日です。
毎年その日の前後に皆で集まりお墓参りに行くのが恒例行事となっていました。
河野さん、藤中さん、私と嫁などを中心にいつも10名ほどで集まっていました。
お墓は安藤さんの地元である一ノ江の近くにありました。
安藤さんがよく好んで飲んでいた日本酒の上善如水と煙草のキャビンマイルドそしてお線香と献花を準備しお寺に向かいます。
お墓を綺麗にしお花を添えてお線香と煙草に火をつけます。
そして上善如水を皆で回し呑みし安藤さんに思い思いに話しかけています。
皆が名残惜しそうにしているとお寺のお坊さんが私たちの方へ寄ってこられ声を掛けてきます。なんでもこのお寺の副住職だと名乗るお方のお顔を見て私は『えええ?!◯◯さん?!』と声を上げてしまいます。
そこに居たのは私が勤務している麻雀店でかなり手強い常連さんとしてよく見かける方だったからです。
本職のお坊さんであることも知りませんでしたが安藤さんのお墓があるお寺の副住職であることも私は全く知らなかったのです。
私は『◯◯さんは安藤満さんのことを知っていましたか?』と尋ねます。
『安藤満さんのことは存じ上げておりましたので初めはとてもびっくりしました』と副住職。
こういうのって麻雀が好きな人のところに引き寄せられるのかな?などと思っていると副住職が『せっかくですので本堂の中もご覧になって行かれますか?』と提案があります。
こんな機会はめったにないので本堂の中も案内してもらうことになります。
きらびやかな装飾が施された本堂は厳かな雰囲気で満ち溢れていました。
緊張の面持ちで一通り礼拝しお寺を後にします。
この後はいつも焼肉屋か寿司屋で宴会となるのですが、このお墓参りの時しか会わない人などもいて久々の再会そして安藤さんとの思い出話で大いに盛り上がります。
『言ってもしょうがないけどさぁ…今も安藤さんが生きていたらなぁ』と誰かが言います。
これも毎年聞いてる気がしますが気持ちはとても良く分かるので私は何も言わず酒を飲み干します。
夕暮れどきになり名残惜しいですがそろそろお開きとなります。
またみんなで元気に来年の再会を約束してそれぞれの帰路につきます。

数年が過ぎまた桜の季節。
恒例のお墓参りの季節でもあります。
そんなある日彼女から大事な話があると切り出されます。
しばらく離れて暮らさないかと言われてしまいます。
私は珍しく冷静に理由を問います。
するとあなたのことは嫌いになったわけではないけど、もっと好きな人が出来てしまったと告げられてしまいます。
これが彼女の本心なのかどうかはわかりませんがこの話を切り出すまでには相当悩み苦しんだのだろうということは想像できました。
私は彼女の気持ちを尊重し、しばらく離れて暮らすというよりはもう離婚した方が良いんじゃない?そう尋ねました。
それに対し彼女も納得した様子で頷きました。
数日で彼女は出ていき私は1人には広すぎる部屋を見渡しなんでこうなってしまったのかを考えていました。
私はなぜ彼女の1番から陥落したのでしょう。
経済的なことではもちろん不満があったでしょう。
安定した生活ができなければ安心して暮らしていけません。
そう言えば彼女は私との子供を欲しがっていました。
しかし経済的に余裕のない私は子供を作ることに前向きではありませんでした。
子供のことについては全否定はしませんでしたが肯定もしないという曖昧な態度をとっていたのは良くなかったのかもしれません。
おそらくですが色々なところが足りなかったんだろうと思いますし欠けていたんだろうと思います。
しかし未熟な私にはいくら考えても答えを導き出すことができませんでした。
そして感傷に浸る間もなくまたいつもの日常に飲み込まれていくのでした。

第23回連載へ続く...

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