一般社団法人 グローカル政策研究所

阿部孝則の『寡黙な麻雀王者』

第21回連載

RMUは2年目を迎えいよいよ本格的に活動を始めることになります。
リーグ戦制度の整備や他のタイトル戦の新設、またスケジュール調整や新規会員の募集など、最初にきちんと設定しておかなければならないことと継続して行っていかなければならないことがあり一口に団体を立ち上げると言ってもそれは容易なことではありませんでした。

RMUが発足して3年がたとうかという頃にRMUの支部を創りたいという人物が現れます。
長崎在住の岡澤和洋さんという方です。
岡澤さんは長崎で麻雀店を経営しており、過去にアマチュア競技麻雀サークルを立ち上げたり、プロ団体主催の競技大会にも積極的に参加するなどアマチュアながら競技麻雀に深く関わってきた方でした。
麻雀店を経営していることもあり人脈もありますし、会場や人員の確保も容易にできるであろうという判断から、是非岡澤さんにRMU長崎支部を立ち上げて頂き支部長をお任せしましょうということになります。
東京本部と長崎支部は連携し長崎には東京から講師やゲストの派遣をしていくことになります。
主に代表である多井さんが年に10回程度直接長崎まで行き指導、交流に当たっていましたが、私も何度か長崎出張に行くことがありました。
また指導とは別の名目でも長崎に呼んでいただくことがありました。
長崎では年度末に『あじさい記念』というグランプリ的なタイトルを行なっており、これはその年長崎で活躍した選手たちと東京で活躍した選手たち、更に一般の方々のための予選を開いて勝ち上がりの方々とトーナメント形式のタイトル戦を行うというものです。
私も何度かこのあじさい記念に呼んでいただきました。
何度目のあじさい記念だったか記憶が少し曖昧になっていますが、その年のあじさい記念には多井さんと河野さんと私そして女流が1人、東京から呼ばれることになります。
あじさい記念は2日間にわたって行われるため長崎には2泊ないし3泊程度することになります。
大会前日は一般の方々との交流やフリー対局になります。
それまでサインを書くことなどたまにしかなかった私でも長崎ではかなりの数のサインを書くことになり、写真撮影をお願いされることも少なくありませんでした。
また過去に出演していたMONDO21麻雀プロリーグを見ていました!阿部さんの麻雀が好きです!などと言われることもあり多くの方々が私の事を知ってくれていることにとても驚いた記憶があります。
数時間のフリー対局を終えると今宵は有名な長崎の海産物をご馳走になるとのことです。
岡澤さんの奥様が五島列島のご出身ということもあり当時東京ではめったに口にすることができないようなものまで出てくることもありました。
美味しい海の幸とお酒でお腹も一杯になり明日のあじさい記念のためにホテルに帰って早めに就寝します。

翌朝少し早起きした私は朝の散歩に出かけます。
東京にいる時は日々に追われそんなことは滅多にしないのですが、久しぶりの非日常を少しでも楽しみたかったのかも知れません。
試合会場の麻雀店ワイルドキャッツに到着します。
ここは長崎の中心部からは少し離れたところにありますが、新しい3階建てのビルが丸ごと雀荘という贅沢な造りになっています。
1階が受付とかなり広めにスペースを設けた待ち席になっていて漫画や雑誌も豊富に取り揃えてあります。
フリードリンクなので待ち時間もとても快適に過ごすことができます。
常連さんともなれば仮に麻雀を打つ時間がなくても喫茶店がわりに利用することもあるようです。
常連さん同士やスタッフと会話したりとても良い空間になっているようです。
そして2階と3階部分が営業フロアとなっているので2階部分でフリー営業をして3階部分で大会を行うというようなことも容易にできる造りになっています。
エレベーターも完備しているので店内の移動も快適です。
あじさい記念1日目は3回戦トーナメントが2回行われます。
勝ち進めば合計6半荘を打たなければなりません。
私はこの日調子が良く1日目を安定した成績でまとめ2日目の準決勝に駒を進めます。
準決勝では苦しみながらもなんとか決勝に勝ち進みます。
そして決勝戦は私の他に代表の多井さん長崎支部長の岡澤さん、長崎支部の若手という4名で行われることになりました。
決勝戦では上から下までそこまで大きく差がない状況で最終戦を迎えます。
私もこの半荘でトップをとれば優勝の可能性があります。
しかし東3局に多井さんが岡澤さんから国士無双の32000点をアガリます。
私は多井さんの聴牌気配を察知して警戒していましたが、親でビハインドのある岡澤さんは多少の危険牌でも押すしかなかったようです。
決勝戦での役満はインパクトもそうですが決定打になることが多々あります。
南場に入り多井さんが大きくリードをしていて優勝は決まりか?と思われていました。
ラス親が残っている私も必死に上がりを重ねますが役満分の点差を詰めるのは中々厳しいものがあります。
しかしラス前の南3局に私になんとツモリ四暗刻の大物手が舞込みます。
リーチをかけた私はツモか多井さんからの直撃以外は上がらないと決めていました。
私は残りツモ番が2回というところでツモ牌を引き寄せ8000,16000!
四暗刻を上がり多井さんとほぼ並びます。
決勝戦の最終半荘で役満が2度も飛び出す波乱の展開にギャラリーは大盛り上がりです。
そしてオーラスはラス親の私と多井さんの一騎打ちとなりました。
私がイーシャンテンになったところで放った牌が多井さんに放銃となりゲームセット。
優勝こそ逃したものの決勝戦にふさわしい闘牌が出来たことに私は満足していました。
あじさい記念は劇的な幕切れで終了し表彰式と打ち上げは中華屋さんを貸し切って行われます。
優勝した多井さんと大会を無事成功のもと終えた岡澤さんも満足そうです。
私もこの日ばかりは皆と遅くまで飲み明かすのでした。

第22回連載へ続く...

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