一般社団法人 グローカル政策研究所

阿部孝則の『寡黙な麻雀王者』

第19回連載

第15期麻雀マスターズを優勝した私は鳳凰位の奪還に向け忙しい日々を送っていました。
それと同時にアマチュア向けの競技麻雀普及団体、日本麻雀機構に関わることになっていきます。
新団体との見方もありましたがプロ競技団体ではないということで、当初は日本プロ麻雀連盟との両立ができると聞いていました。
もちろん日本プロ麻雀連盟をやめる気など更々ない私は、新しいことに挑戦できるのもまだ若い今のうちという気持ちでした。
しかしながら実際には話はそう希望通りにはいきませんでした。
詳しい経緯や詳細は避けますが色々あって日本プロ麻雀連盟を半ば追放されるかたちになってしまいます。
しかし、私は当時ことの重大さに気づいておらず
『麻雀さえできるならどこでも同じこと、ほぼ0からのスタートでもそれはそれで悪くないだろう』
くらいにしか考えていませんでした。
今思えば人生最大の分岐点となる選択の1つだったことは間違いありません。
後悔はもちろんしていませんが、別の選択をしていたらどうなっていたのでしょうか。
しかしながら今得られているものもあり、それらがなかったかも知れないとなると、やはり選択は間違いではなかったのだと思っています。

そして日本麻雀機構は設立のビッグイベントとして競技麻雀の大会を開催することになります。
賞金総額1000万円、優勝は世界一周旅行というとてつもない規模の競技大会です。
私たちはその準備に日々奔走していました。
会場は池袋サンシャインシティーの中にある大きなイベント会場でおこなわれることになります。
この会場は一度に200名以上が会することができ麻雀卓を50台おいてもかなりスペースがあまるほどの広さです。
また開催に向け賞品の世界一周旅行の手配、警察関係の確認、予選会場や日程の人員の確保などなどやらなければいけないことが山ほどありました。
また新しいことを始めようとすると想いもよらない困難や障害が次々と出てくるものなのだということを、身を持って感じました。
決して簡単ではなかったもののなんとか史上最大級の競技麻雀大会『The Open』の本戦を開催させるところまできます。
開催期間は予選から含め3ヶ月程度に及び参加人数は延べ数千人にもなりました。
そして私たちも運営兼選手として参加します。
多くのプロが参加する中優勝したのは、70代の一般男性で500万円相当の世界一周旅行の目録を手にしかなり興奮しておられるようでした。
半年ほどたったある日、優勝者の方から奥様と世界一周旅行で周られた時の写真が事務局に送られてきます。
終始ご満悦そうな優勝者の方の写真を見てとてもほっこりした気持ちになったのを覚えています。

こうして超ビッグイベントを無事成功させた私たちは、次に日本麻雀機構の競技部を発足させる準備にとりかかります。
日本麻雀機構はプロ競技麻雀団体ではないのでそこに所属するプロ志望の選手のために競技部を作ろうという事ですがこれに関しても色々な問題や障害が持ち上がってしまいます。
二転三転した後に別のプロ組織を作ろうということになります。
こうして現在Mリーグで活躍中の多井隆晴さんを代表に据えたRMUが発足します。
私も副代表に就任しRMUの発展に尽力していくことになります。
当初はリアル・マージャン・ユニットが正式名称でしたが現在はアールエムユーが正式名称に変更されています

2007年の夏のことでした。

第20回連載へ続く...

COLUMN

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