一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

「昔日の金融センター」香港
国家安全条例の衝撃とは?

 バブル経済の崩壊以来、ニューヨーク、ロンドンを凌ぐ金融センターだった東京に代わって、アジアの金融ハブの地位を占めてきた香港の陰りが濃くなってきた。
 ロンドン・ベースのシンクタンク「Z/Yen」が先週木曜日(3月21日)に公表した最新の「グローバル金融センター指数」で、世界5位のサンフランシスコに半年前は6ポイントもあった差をわずか1ポイントに詰められて、「世界4位の座」の堅持が揺らいでいることが浮き彫りになったのだ。
 背景には、1997年の中国への返還以来、絶えることがない北京の中国共産党指導部による社会・経済の統制強化がある。その勢いは2020年の香港国家安全法の制定以来、増す一方となっている。
 そして、北京の意向を受けて、香港の立法会(国会に相当)は、先々週火曜日(3月19日)、20年来の悲願だった「国家安全条例」の制定を全会一致で可決した。このことが香港の落日を決定づけかねないと懸念されている。
 というのは、同条例は、反逆や反乱、国家機密へのスパイ行為、外部勢力との共謀など公安関係の取り締まりの範囲を拡大しつつ、厳罰化するというもので、最高は終身刑を規定しているが、共産党や中国政府、香港当局へのメディアやエコノミストの辛口コメントを国家への憎悪を煽る罪に問う法制も秘めており、外国プレスや金融機関、コンサルティング会社の多くが香港からの撤退の検討に入ったとみられている。

 金融ハブとしての香港は、一昨年(2022)9月、それまで堅持してきたニューヨーク、ロンドンに次ぐ「世界3位(アジア1位)の座」をシンガポールに明け渡して4位に転落したばかりである。
 仮に、次回(今年9月)の「グローバル金融センター指数」発表の際に、サンフランシスコの逆転を許せば、4位の座をわずか2年で失う事態にもなりかねない。

 現実の問題として、日本を含む西側企業にとって、香港経由のビジネスが多い中国経済のかねての停滞もあって、中国本土はもちろん、香港も拠点を置く地理的魅力が急速に薄れている。
 如実に、その傾向が表れているのは、香港でビジネスを展開する日本企業の多くが加入している香港日本商工会議所の会員会社数の推移だ。
 同所のホームぺージによると、会員会社が最大だったのは、香港が中国に返還された1997年の787社である。
 リーマンショックのあった2008年には前年比6社増の610社と、当時の撤退ブームにようやく歯止めがかかり、以後の数年間は一進一退の動きとなった。
 そして、2011年の東日本大震災・福島第一原発事故後は増加に転じた。2016年には690社と最近のピークを付けたのだ。
 しかし、勢いは続かず、中国共産党の統制が強まるにつれて再び撤退ラッシュが起きた。今年3月21日には541社と、この1年間だけで差し引きで24社が脱会した。

 香港の国家安全条例への警戒感は、日本企業だけでなく、欧米企業の間でも根強い。
 数カ月前に、香港在住の米系金融機関のエコノミストが中国経済の低迷を予測するレポートを書いたところ、北京の財政当局からきついお叱りを受けたという話は、金融業界では有名だ。
 今後は、今回の国案条例の制定によって、こうしたレポートの執筆は、中国政府への憎悪を煽る扇動の罪に問われて厳しい処分を受けることになりかねないとあって、アジアの拠点をシンガポール辺りに移す動きが本格化しかねないと聞く。

 香港は、アヘン戦争で清朝を破った英国が植民地化したことで知られている。日本が第2次世界大戦中に占領した時期もあるが、戦後は英領に復帰。1984年署名の英中共同声明に基づいて、1997年7月1日に中国に返還されるまで、英国の統治は155年を数えた。
 返還後は、中華人民共和国の香港特別行政区(Hong Kong Special Administrative Region:HKSAR)とし、50年間は「一国二制度」を維持して民主主義を採り、言論、集会、報道、経済活動などの自由が保障されるはずだった。
 だが、反逆や反乱、国家機密へのスパイ行為などの取り締まりばかりか、愛国教育の普及や立法会の支配など、中国は香港の統制強化を急ぎ過ぎ、民主派の疑念を煽り、政情不安を招いてしまった。その結果、英語をはじめ、西側のビジネス慣行の定着を強みとしてきた香港という稼ぎ頭の都市の繁栄を「風前の灯」とする愚を犯しているのである。

2024年3月25日

COLUMN

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