一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

英国加入で実質合意に漕ぎ着けたTPPを
自由貿易を守る「砦」に育てよう!

 経済・通商面での普遍的価値であるはずなのに、過去数年、国際的なアジェンダとしての地位の低下が目立っていた「自由貿易」を巡り、久方ぶりの朗報が飛び込んできた。
 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の加盟11カ国と英国が3月31日、オンラインで担当閣僚会議を開き、英国のTPP加盟に関して実質的な合意に達したとしたうえで、これを歓迎する旨の共同声明を公表したのである。
 世界に先駆けて産業革命を成し遂げたことを推進力にして「自由貿易」を掲げてきた英国の加盟は、TPPの発展にとって強力な助っ人を迎える意義があるはずだ。
 というのは、TPPは「米国第一主義」を掲げた米国のトランプ前大統領による離脱に遭遇、2018年の発効段階で11カ国での船出という冷水を浴びせられたばかりか、近年、中国が一段と強い影響力を持ち、中国に甘い基準を持つ東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の発効にも押され気味になっていたからだ。
 米、中両国の覇権争いや、サプライチェーン(供給網)の囲い込み合戦、そしてロシア軍のウクライナ侵攻に対する西側諸国の制裁と、自由貿易は引き続き、厳しい逆風を避けられそうにない。
 しかし、将来の米中デタントを模索するための拠り所にするためにも、日本は新たなパートナーである英国とも連携、TPPを自由貿易の砦として維持・発展させることに尽力すべきだろう。

 今後、残された手続きは、TPP加盟の11カ国と英国が7月に予定されている閣僚級会合で、12カ国が合意に署名した後、各国内での批准手続きを経て、正式に英国が加盟するというものだ。年内にも英国の加盟が実現するかもしれない。
 これにより、TPPは、日本、カナダ、豪州、メキシコ、ベトナムなど太平洋を囲む地域の経済連携協定から、欧州の英国を含む、より広範な地域の自由貿易圏に衣替えする。加盟国合計の国内総生産(GDP)も、世界の12%から15%に拡大する計算だ。

 31日公表の共同声明で目を引くのは、英国の加入を審査してきた加入作業部会の確認事項として、「英国が物品、サービス、投資、金融サービス、政府調達、国有企業及びビジネス関係者の一時的な入国について、商業的に有意義で、最高水準の市場アクセスのオファーを提供した」と明記したことだ。引き続き、英国が自由貿易の強力な推進者であることを裏付けた格好になっている。

 英国から見ると、今回のTPP加入は、先の欧州連合(EU)離脱で独自の通商交渉権を取り戻したことの目に見える成果であり、これにより、成熟したEU市場に縛られることなく、成長力に富むインド太平洋市場と連携する足掛かりを得たということになるのだろう。
 英国は、TPP加盟11カ国のうち、日本、豪州など9カ国とすでに2国間の自由貿易協定(FTA)を結んでおり、直接的なTPP加入の経済効果は大きくない。
 が、最新のIMFの世界経済見通し(1月公表の改訂版)によると、英国の今年の成長率はマイナス0.6%と縮小に陥るという。同国にとって自由貿易を通じた成長刺激策は見た目以上に重要だ。
 実際、英国のスナク首相は31日、「TPP加盟で英国は成長する太平洋の経済グループの中心に置かれる」と述べ、長期的な観点から英国企業が今後期待されるアジアの成長を享受できるようになったと強調した。あわせて、今後、TPP加盟国が増えることで恩恵が加速するとの思惑も抱いているようだ。
 また、EUの主要メンバーであるドイツやフランスは英国のアジア政策に追従することが少なくない。それだけに、TPP加盟国との関係強化に乗り出す呼び水効果にも期待したいところだ。

 一方、日本にとっても、英国との間にはすでに紹介した通り2国間FTAが締結されており、今回の英国のTPP加入で得る直接的なメリットは大きくない。
 しかし、後藤・経済再生担当大臣が31日の記者会見で強調したように、日本が譲歩したものはひとつもないと言う一方で、日本から英国への輸出では、現在20%程度の関税が課されているコメ関税の撤廃を獲得出来たことは、農業分野に多い保護主義の賛意を取り付ける側面から朗報と言えるだろう。岸田総理以下、政府は、「世界的な和食ブームの中で、コメ輸出に弾みがつく」と説明している。

 ただ、TPPへの英国の加盟の意義を短期的な観点からのみ論じることに、筆者は反対だ。むしろ、冒頭でも述べたように、TPPの維持・発展により、国際的なアジェンダとしての輝きを失っている自由貿易の意義を世界に問い直す戦略を模索すべきだろう。
 振り返れば、第2次世界大戦後、米国は民主主義、資本主義、自由貿易の旗手として世界を牽引してきたものの、国内製造業の衰退や経済格差の拡大が災いした。保護主義的な「米国第一主義」を掲げるトランプ政権が誕生、TPPから離脱してしまった。
 日本は、TPP交渉の空中分解を回避。残った11カ国をまとめてTPP発効に漕ぎ着けたものの、中国の攻勢にさらされてきた。米国離脱を好機とみた中国が2021年にTPPへの加盟を申請する挙に出たのである。その一方で、中国はTPPの11カ国より多い15カ国が参加し、世界の人口と貿易総額の約3割を占める巨大FTAのRCEP交渉も強く後押しして、去年の発効を実現した。RCEPは、TPPより関税引き下げ率が低いうえ、政府の国有企業支援や、経済活動への介入を抑える投資ルールの縛りが緩く、中国を利する協定だ。
 対する米国は、バイデン政権の発足後も自由貿易の推進路線とTPPに回帰できず、新経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」を打ち出すのがやっとという有り様だ。IPEFは米国内の保護主義者への配慮から自由貿易の推進には触れず、軍事、ハイテク技術の流出阻止と自由主義国側でのサプライチェーン(供給網)の強化を2大柱にして、中国排除を目指すという世界貿易の観点からは明らかに中途半端な協定だ。
 そして、ロシア軍が昨年2月、ウクライナに侵攻、西側陣営は対抗上、ロシアへの経済制裁を強めざるを得ず、自由貿易という国際的なアジェンダはすっかり色褪せてしまった。世界は、軍事面の安全保障が優先される時代の様相を呈しているのだ。

 こうした中で、日本は中国やロシア、北朝鮮への対抗上、米国と連携する以外の選択肢は乏しいものの、経済の2極化や保護主義が世界を席巻することを容認できる立場にもない。停滞する世界貿易機関(WTO)のドーハラウンドも打開の糸口が見えない以上、日本は自由貿易の灯火を消さないため、TPPの質を落とすことなく加盟国の拡大を進めていく必要に迫られていると考えるべきだろう。
 そうした中で実現が時間の問題となったのが、日本と立場上の共通点が多く、自由貿易を強く志向する英国のTPP加盟なのである。
 今後、英国との連携が問われるとみられるのは、すでに申請している中国、台湾、エクアドル、コスタリカ、ウルグアイの5カ国のTPPへの加盟交渉のさばき、離脱した米国の復帰問題、そして、いまだに正式な加盟申請をしていない韓国への対応といったところだろう。

 特に、中国に関してはマレーシアが早期のTPP加盟承認を求めているとされるが、そのために中国が国際的な経済慣行を無視して各地で繰り返している傍若無人な振る舞いを容認、TPPの現行基準を引き下げるようなことがあれば、その悪影響は許容できない。
 むしろ、日本としては、中国がTPP基準に合致する体制を整えるようTPP加盟交渉で中国に迫るだけでなく、加盟12カ国がそうした姿勢で足並みを揃える協調体制を築くことが必要なのだ。
 もちろん、中国が譲歩して現行のTPP基準に合致するような国内体制の整備に乗り出すことを想像するのは容易ではない。が、実現すれば、世界経済にもたらす恩恵は計り知れない。
 そうした中国の譲歩を引き出すためには、台湾の加盟を先行させるとか、米国の復帰を促す必要が出てくる可能性もある。
 そういった権謀術数が飛び交う困難な交渉を視野に入れると、歴史的な外交大国であり、自由貿易体制の重視という国策を持つ英国の新加盟は、明らかに日本にとって歓迎すべきことである。お互いに頼れるパートナーとして、しっかりと連携を深めていくことが重要ではないだろうか。

2023年4月3日

COLUMN

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