一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

遼寧

 5月22日からのバイデン米大統領の初来日を視野に入れていたのだろう。5月初め、東シナ海方面から沖縄南方の太平洋に進出・展開した中国海軍の空母「遼寧」が、執拗な示威行動を繰り返している。バイデン大統領は来日中に、岸田総理と首脳会談を行い中国の海洋進出や核武装強化をけん制する共同声明を発するほか、日米豪印の4カ国によるクアッド首脳会議に出席して「自由で開かれたインド太平洋」の実現に強いコミットメントを打ち出す見通しだ。それだけに、こうした動きをけん制したい中国が、「遼寧」をはじめとして海軍に示威行動をさせているとみなすべき状況となっている。
 中国の空母「遼寧」については、岸防衛大臣が5月20日午前の定例記者会見で、「沖縄南方の海域において、5月上旬以降、300回以上にわたって断続的に艦載戦闘機、艦載ヘリの発着艦を行っていることを海上自衛隊が確認をしております。これらの活動は、太平洋等の遠方の海空域における作戦遂行能力を高めるための活動である可能性があります。防衛省・自衛隊としては、わが国周辺の海空域における動向に引き続き注視するとともに、わが国周辺海空域における警戒監視活動に万全を期してまいります」と述べている。
 また、岸発言の前日には、松野官房長官が記者会見を行い、やはり艦載機などの発着回数が300回を超えていることに言及した。5月18日にオンラインで半年ぶりに開催した日中外相会談で、林外務大臣から中国の王毅外務大臣に対し、率直に「安全保障上の強い懸念」にあたると伝えたと説明したのである。
 確かに、岸大臣と松野長官が指摘したように、事態は憂慮せざるを得ない。太平洋上に中国の空母が長期間にわたって展開、300回を超える艦載機やヘリコプターの発着を繰り返したようなケースは、過去に例がないからだ。また、18日午前には、対艦ミサイルを搭載している可能性のある中国軍の爆撃機2機が、沖縄本島と宮古島の間を抜けた先に位置する太平洋上の空域への往復飛行を行ったことも航空自衛隊が確認している。
 中国海軍は、米国から台湾に向かう途上にある、この海域において、空母を含む米海軍の艦船の進出を阻む力があると言わんばかりとなっている。
 「遼寧」が5月初めに東シナ海方面から沖縄南方の太平洋に進出した時点では、これほど長期にわたって同艦が太平洋に展開するとは考えられていなかった。太平洋での示威行動をいつまで続けるつもりなのか、中国の意図も定かではなかった。
 だが、この示威行動が、バイデン氏の訪日直前まで続いたことを見れば明らかだろう。中国は、バイデン氏来日を視野に入れていたとみるべきである。
 中国の示威行動について、筆者は、1995年から翌96年に起きた「台湾海峡危機」を想起すべきだと考えている。この危機は、1996年の台湾総統選挙で対中強硬派と目されていた李登輝氏が優勢との観測が流れたことに対し、中国軍が選挙結果に影響を与えようと目論んで軍事演習を強行。台湾の北東海域に向けてミサイルを撃ち込んだことが発端だ。これに対して、米国が当時中国は保有していなかった空母を2隻派遣したことから、一気に緊張が高まった。しかし、米国との圧倒的な軍事力の差を実感した中国軍が活動を停止したことから事態が鎮静化したのだった。
 当時との違いは、周知のように、この海域での米国の軍事的な優位を中国が逆転し、その格差の拡大が続くとみられていることだ。現在、米軍が太平洋に展開している空母は1隻に過ぎないが、中国は年内に3隻目の空母を進水させるとみられている。2025年の海上兵力については、軍用機でも、艦艇でも、中国軍が米軍の数倍の規模に達するとの予測もある。もはや、米軍が1996年の台湾海峡危機のように中国軍を容易に引き下がらせることができる状況は存在しない。そうした形成の変化を中国は今回の「遼寧」の活動で誇示したとも言える。
 新聞報道によると、防衛省は「遼寧」の動きを見て、中国空母の日本近海における活動が常態化することを警戒しているという。というのは、今回、「遼寧」が展開した太平洋側だけでなく、かねて中国海警の活動が活発化していた東シナ海の尖閣諸島周辺の警戒監視も怠れず、2正面の対応を迫られるからだ。
 日本は、厳しさを増す安全保障環境にどう対応していくべきなのか。日米やクアッドとの連携を通じて中国をけん制するだけでなく、力による現状変更という野心を中国に放棄させるための直接対話が必要だ。加えて、決して歓迎すべきことではないが、日本外交の説得力を増すためにも、防衛力の抜本的な強化が避けて通れなくなっている。

2022年05月23日

COLUMN

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