一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

今度は、口先介入では不十分!?
日銀は日米金利格差拡大にどう臨むのか。

 3月25日、円相場は1ドル=122円台半ばと、約6年3カ月ぶりの安値をつけた。ロシア軍がウクライナに侵攻した2月24日から1か月余りの間に、8円ほど円安・ドル高が進んだことになる。一方、この日の株式市場では、日経平均株価が前日比39円高の2万8149円で取引を終えた。2年半ぶりの9営業日の続伸で、経済紙は「足元で急速に進んだ円安で、業績にプラスとされる輸出関連銘柄が上昇をけん引した」と報じた。日銀の黒田東彦総裁はかねて「円安が日本経済にプラスに作用している基本構造に変わりはない」と強調しており、3月18日の金融政策決定会合後の記者会見でもこうした趣旨の発言を繰り返している。経済紙の報道通りだとすれば、株式市場では今なおこの円安プラス論が幅広く信じられていることになる。

 確かに、黒田氏が日銀総裁に就任した10年前ならば、まだ「円安は日本経済にプラスだ」と断言してもおかしくはなかったかもしれない。円安には輸出を促進するという大きなプラス効果があったからだ。
 しかし、日本の製造業の多くは、黒田総裁就任前の2008年のリーマン・ショック(グローバル金融危機)後の急速な円高を受けて、生産拠点を積極的に中国やベトナムなど海外に移してきた。このため、輸出の多くは、最終製品から自社の海外拠点への原材料や中間製品に代わり、円安が輸出競争力を増す効果は乏しくなった。
 半面、ソフトウェアや割安な部品を以前より多く輸入する企業が飛躍的に増えたことは見逃せない。円安が進めば、それらを生産活動に活用した製品やサービスの価格が上がり、個人消費の伸び悩みを招く環境に変わったからである。
 しかも、国内ではこの間に高齢化が大きく進み、円安によるエネルギーや製品の価格上昇に逆らって活発な消費を続けられる購買層が減ったとみられることも重要だ。
 さらに、貿易上の交易条件の悪化は、新型コロナウイルス感染症の流行の直撃を受けた飲食、小売、旅行、運輸関連などの内需型企業にとってコストの押し上げ要因だ。こうした企業の利益率を低下させて投資余力を奪うことになりかねない。
 こう考えてくれば、株式市場や黒田総裁が言う「円安は日本経済にプラス」という時代は、昔話になっていても何ら不思議はない。

 そうした中で、米連邦準備制度理事会(FRB)が金融政策の正常化に乗り出した米国と、その流れに乗り遅れている日本の間で、長期金利の格差が大きく拡大していく見通しで、大きな懸念材料と言わざるを得ない。外国人投資家を中心に相対的に収益性が低下する見込みの円資産を売り、ドル資産に乗り換える動きが活発化することになり、外為市場で円安が加速しかねない状況になるからである。
 また、財務省が3月8日に発表した今年1月の国際収支統計(速報)において、海外とのモノやサービスなどの取引状況を表す経常収支が1兆1887億円の赤字だったことも懸念材料だ。赤字は2カ月連続で、赤字額が2014年1月(1兆4561億円の赤字)に次いで過去2番目の大きさとなり、ウクライナ危機後の原油・天然ガス価格の急騰を勘案すると、経常赤字が今後、長期化しかねない。このことは遠からず、日本が世界一の債権大国から滑り落ちて、円に対する信認が一段と細るのではないかとの懸念に繋がるためである。

 一方で、日米間の長期金利格差の拡大と経常赤字の常態化説と相まって、外為市場では当面、7年前に付けた1ドル=125円の節目を目指すとの見方が強まっている。あの時は、「黒田バズーカ」などと呼ばれた大規模な金融緩和を背景に円安が進んでいた。そして、1ドル=125円前後に達したところで、黒田総裁が2015年6月10日の衆議院・財務金融委員会での意見陳述に臨み、「ここからさらに円安に振れることは、普通に考えるとなかなかありそうにない」と発言した。黒田発言は、当時の急速な円安相場に対する警戒感を煽る形になり、直後に外為相場は一転して2円以上も円高になり、その後の円高基調への転機になった。このため、このところ、この水準が円相場の当面の節目とも見られている。

 が、実際にそういう場面を迎えた時に、政府・日銀はどう動くのだろうか。政府は経済対策として補正予算を組んでガソリン高対策などを打ち出す可能性があるとみる向きは多い。しかし、その一方で。黒田総裁は対応を前回同様、口先介入にとどめる可能性が高いとみられている。つまり、日銀には、FRBに追随して利上げを行い、米長期金利格差の拡大に歯止めをかける意欲も力もない、とみているエコノミストが少なくないのだ。
 その背景にあるのは、7月には参議院選挙が控えており、政治的に利上げが難しいことだ。また、利上げとなれば国債費が膨らみ財政を圧迫することから、黒田総裁として動きづらいとの見方もある。筆者も数人のエコノミストに取材してみたが、黒田総裁の任期が来年4月に満了するまで、日銀が利上げに転じることはないだろうというのが大方のコンセンサスになっていると断じてよいだろう。
 しかし、本当に、急激に円安が進み始めた時に、日銀が指をくわえて傍観して良いとは思えない。そうなれば、原油や天然ガスをはじめとした輸入品価格の高騰に拍車がかかり、国富の流出に歯止めがかからない事態も予想される。適切かつ機動的な金融政策の運営は、日銀の本来的な使命であるはずだ。

2022年03月28日

COLUMN

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