一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

何が、ウクライナでの停戦とロシア軍撤退を
実現する力になるのか?

 ロシア軍による侵攻から8日目となった3月4日、世界は震撼した。ウクライナ南東部にあるヨーロッパ最大規模の原子力発電所「ザポロジエ原発」をロシア軍が攻撃して制圧したとウクライナ当局が発表したからだ。ロシア政府は否定しているものの、原発にミサイル攻撃を仕掛けるような暴挙に踏み切る国家が現れるという事態は誰もが、あり得ないと考えていただけに、この騒動の衝撃は大きかった。
 また、ウクライナ当局によると、同地では2日の段階で2000人を超す市民が死亡したほか、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は3日、ウクライナからの避難民が100万人を超えたと公表している。
 一連のロシアの暴挙を一刻も早く終わらせるために、最も有効な手段はいったい何なのだろうか。

 「ザポロジエ原発」の攻撃、制圧騒動を受けて、各国政府は一斉にロシアを批判した。象徴的なのは、即日、緊急会合を開催した国連安全保障理事会である。会合では、英国の国連大使が「燃料を入れて稼働中の原発を国家が攻撃したのは初めてだ」と指摘。原発やダムへの攻撃を禁じたジュネーブ条約第1追加議定書に違反すると厳しく非難した。米国も「核の大惨事を間一髪で免れた」とロシアの蛮行を糾弾、一貫してロシア寄りの姿勢を採ってきた中国でさえ「懸念」を表明したうえで、「当事者は極めて慎重に行動するよう期待する」と自制を求めたというのである。
 しかし、ロシアには馬耳東風だ。同国は安保理の場で、「ウクライナ政府が人工的なヒステリーを起こそうとしている」と攻撃の事実を否定したばかりか、「ウクライナの民族主義者やテロリストが核による挑発行為を行わないようにするため」、ロシア軍の管理下に置いたと居直った。これでは、またも安保理が有効な手立てを打てなかったと言わざるを得ない。
 また、今回のウクライナ侵攻には、「核兵器を放棄すれば、自国の安全保障を危うくする結果を招く」との意識が、国際社会に芽生えかねない問題もある。というのは、旧ソ連の崩壊の結果、ウクライナは自国に残されていた核兵器を返還する条件として安全保障を要求。ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナの3カ国がNPT(核兵器不拡散条約)に加入することと引き換えに、米、英、ロシアの3カ国が安全を保証した「ブタペスト覚書(1994年)」が、今回破られる事態になったからだ。核保有国はこれまで以上に核軍縮に慎重になりかねないし、北朝鮮やイランなども核兵器開発を容易に放棄しなくなることが強く懸念される。

 ウクライナ侵攻では、 米国を含む北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が、紛争に巻き込まれて第3次世界大戦に発展することを恐れて、早くから軍事介入しない方針を明確にしている。どれゆえ、ロシアの暴挙を止める切り札として一縷の望みが残っているのは、各国が連携した経済制裁だとの見方は強い。
 主要7カ国(G7)を中心に国際社会は、ロシア中央銀行が各国の中央銀行に持つ外貨準備を凍結したり、ロシアの民間銀行を「国際銀行間通信協会(SWIFT)」の国際的な資金決済網から締め出したり、ロシアの政治家・資産家といった個人の資産凍結をしたりして、経済制裁の段階的な強化を進めてきた。また、永世中立国を標榜してきたスイスでさえ、ロシアの金融資産の凍結を表明しており、制裁の輪は着実に広がりつつある。
 その結果、通貨ルーブルの通貨防衛が制限されたこともあり、債券市場ではロシア国債の相場が急落し、デフォルト懸念がささやかれている。
 こうした制裁のインパクトが小さくないことは、ロシア国債の信用格付けを一気に6段階も引き下げた格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスの決定に象徴されている。これによって、ロシア国債は安定的な資金運用の対象である投資適格債から、投機的とされるジャンクボンドに転落した。ムーディーズは、さらに「今後も格下げ方向での検討を続ける」としている。

 とはいえ、経済制裁がロシアとプーチン大統領に停戦と撤退を促すほどの効果があるかとなると、大きな疑問が残る。というのは、これまでG7が実施した制裁にロシアの圧倒的な主要輸出品である天然ガスと原油の輸出を直接的に難しくする対策が含まれておらず、ロシア経済に致命的な打撃を与えるには至っていないからである。

 それどころか、ロシアの天然資源輸出に大きな支障をきたさないような配慮がなされていると勘繰りたくなるような事実さえある。
 実は、エネルギー関係の民間企業から興味深いデータを入手したので、ここで紹介しておきたい。ロシアのウクライナ侵攻によって、ロシアからヨーロッパ向けのガス供給が細ると懸念されていたのに反し、実際にはそういうことは起きていないというのである。筆者が入手した2月28日時点のデータによると、欧州側の主要6ポイントでのガス輸入の合計は、ウクライナ侵攻を挟む1週間前と比べると、実に30%も増えているのだ。中でも、ドイツ、フランス、オランダが輸入に使っているパイプライン「Nord Stream1」は、「フルキャパシティでガス輸送を継続中」だ。また、驚くべきことに、戦闘中の「ウクライナ経由のガス輸送量も、急増後の水準を維持している」という。
 このデータは、まだ、EUやEU加盟国が、自国のエネルギー安全保障の根幹に関わる天然資源がらみの制裁はしていないし、ロシア側も貴重な外貨調達手段であるガス輸出を絞ったり止めたりしていないということを浮き彫りにしている。
 確かに、すでにEUが実施した国際決済網SWIFTからの締め出しでも、ロシア銀行界トップのズベルバンクとエネルギー部門に強いガスプロムバンクが対象から外れていることも、こうした文脈で考えると理解が容易だろう。
 ズベルバンクについては、米国がドル取引の禁止に踏み切っている一方、ズベルバンク自身はEUの制裁発表の翌日、グループの傘下銀行で預金流出が進んでいることを理由に、事業継続が困難と判断、欧州市場から撤退すると発表している。しかし、ウクライナのクレバ外相は、日本の新聞のインタビューで「ロシアの最大手銀ズベルバンクを「SWIFTから排除されなければならない。この銀行はロシア政府が所有しており、排除すればロシア国民に明確なメッセージを送ることになる」と主張しており、各国間に微妙なズレが生じている。

 では、いったい何がロシアとプーチン大統領に、ウクライナでの早期の停戦や撤退を促す切り札になるのだろうか。
 なかなか決め手はないが、それでも筆者は、プーチン大統領が3月4日に、ロシアの軍事行動に関して「虚偽」の情報を広げた場合に刑事罰を科す改正法案に署名・成立させたことや、同日、ロシアの通信監督当局が米メタ(旧フェイスブック)が運営するフェイスブック(FB)への接続遮断を発表したことに、そのヒントがある気がしてならない。
 というのは、こうしたあからさまに「言論の自由」を弾圧する姿勢の背景には、政権にとって不都合な情報を排除して、ロシア国内でのプーチン政権の支持基盤が揺らぐことを抑え込もうという狙いが読み取れるからだ。
 こう考えると、マスメディアだけでなく、一般の人もインターネットを活用して、非人道的なロシア軍の攻撃の実情や、ウクライナからの避難民が急増している状況を世界に拡散し、情報の共有を進めることによって、ロシア国民に足元から停戦・撤退を突き付けてもらうことこそが、結果的には最も大きな力になるのかもしれない。その際、国際社会が氾濫しているフェイクニュース、フェイク動画の排除に有効な手立てを打ち出せるかも大きなポイントになるだろう。

2022年03月07日

COLUMN

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