一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

『経済安全保障推進法案』が
国策ゾンビ企業を跋扈さかねないリスクとは。

 岸田内閣は2月25日、「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律案」を閣議決定した。
 筆者が閣議決定に先立って入手した同法案の概要と条文要綱によると、柱は「サプライチェーン(供給網)の強じん化」、「(電力や通信、物流、医療など)基幹インフラの安全性・信頼性の確保」、「官民技術協力の推進」、「特許出願を非公開化する制度の新設」の4つだ。
 こう書くとポジティブな印象を持つ人が多いだろうが、驚きを禁じ得ない部分も散見された。というのは、この法案は、政府が経済安全保障に必要な物資をほぼフリーハンドで指定したり、金融機関の融資に口を挟んだりできる内容となっているからだ。過去の半導体産業対策などと合わせれば、淘汰されるべきゾンビ企業を跋扈させることも可能な法案と言わざるを得ないのである。
 国会では3月半ばにも、この法案の審議が始まるとされているが、安全保障確立が喫緊の課題であることにとらわれ過ぎずに、慎重な審議を求めたい。

 「経済安全保障」は、米国が主導する『対中包囲網』の一環として関心を集めるようになってきた。
 中国には、先端半導体のような戦略物資は製品も開発・製造技術も輸出できない。一方、中国が禁輸措置を敷くとレアアースのような希少資源を輸入できなくなる事態が想定される。このため、必要な物資の国際的なサプライチェーン(供給網)を普段から多層構造にしておくことは重要かつ緊急の課題である。昔からある「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」といった議論とよく似た側面もあると言えよう。

 岸田政権は、去年10月の政権発足時に担当大臣ポストを新設。総理の施政方針演説でも法案作りを急ぐと表明していた。
 ただ、筆者はこの段階で、本丸の安全保障の見直しが後回しにされ、いきなり経済安全保障法案を優先することに本末転倒ではないかとの違和感を抱いた。
 というのも、甘利明・前経済産業大臣が大臣に就任する前に話を聞く機会があり、経済安全保障論議が持ち出された背景に注意すべき問題があると感じていたからだ。今日のように議論が注目されるようになる前の段階で、日本には本来とは違う趣旨から経済安全保障を主張する人たちがいたということだ。それは、ばらまき好きの政治家、特に自民党の有力政治家たちである。彼らの目論見は、国際競争力を失ってしまった日本の半導体産業のテコ入れするために税金を投入することにあった。
 これまでも、政府は、半導体の国策支援に乗り出しては失敗するということを繰り返してきた。日本の半導体産業は、世界一を誇った1980年代から様変わりしてほぼ壊滅状態といえるのに、懲りずにまた国策支援、つまり税金でテコ入れしたいという人たちがうごめいていたのである。安全保障でも、経済でも、従来型のオーソドックスな政策議論では理屈が立ちにくい目論みのために、「経済安全保障」という大袈裟な概念を持ち出した裏には、不純な政治的動機があったというわけだ。

 筆者の手元には、閣議決定のもとになった2つの文書がある。内閣官房が2月16日付でとりまとめたとされる「経済安全保障推進法案」の「概要」と「条文の要綱」である。そのポイントは、「経済施策を一体的に講ずること」によって「安全保障の確保」を推進するとして、冒頭で紹介した4つの分野・問題をターゲットにしたことだ。
 もう一度詳しく紹介すると、1つめは、「特定重要物資」。俗に言うサプライチェーンの維持が重要な物資のことである。2つめは「特定社会基盤役務」。つまり、重要なインフラサービスのことで、以上の2つは安定提供が目的だ。3つめは「特定重要技術の開発支援」、4つめは、「特許出願の非公開制度の新設」だ。

 問題は、法律制定後の枠組み作りの進め方にある。これは4分野に共通だが、内閣総理大臣が司令塔になって基本方針を作り、それを閣議決定することになっている。この点は重要なので後で補足する。できあがった基本方針に沿って、総理は、関係省庁の長(主務大臣)に対し、必要に応じて「資料や情報の提供、説明などの協力を求め」たり、「必要な勧告や実施した措置の報告を求め」たり、逆に、総理の方から「情報を主務大臣に提供する」ことができるようにする。
 この法律は、国に対して「必要な資金の確保や、その他の必要な措置を講ずるよう努める」ことを求めている。ところが、ここで、国の禁止行為については、「経済活動に与える影響を考慮し、安全保障を確保するため合理的に必要と認められる限度において行わなければならない」という記述があるだけだ。抽象的で、いったい、何をどこまでやってよくて、その結果として個人や企業の権利の制限がどの程度許容されるのかが融通無碍に解釈できる建て付けとなっている。これはほんの一例で、法案を読み進めると、突っ込みどころが満載なのだ。
 当然ながら、東アジアの安全保障環境は緊張が高まる一方だから、経済安全保障の確立は喫緊の課題である。しかし、肝心なことを明らかにしないままで物事を進めるのは、国民主権の民主主義国家のやり方ではない。実は、冒頭で触れた、総理が策定するという基本方針も「知見を有する者の意見」を聴いて「閣議決定」すればよいことになっており、字義通り解釈すれば、国民や企業は決定事項を官報で知らされる仕組みだ国民的なコンセンサス作りを無視する制度になりかねないのである。筆者のようなジャーナリストの立場から見ると、これでは日本の民主主義が危ういと指摘せざるを得ない。

 ここで全部に言及できないが、経済安全保障推進法案作りに着手する前にやっておくべき入り口と出口の議論がすっぽりと抜け落ちていることに不安を禁じ得ないのである。
 まずは、先ほど触れたように、人権や企業の経営に対する制約がどの程度許されるのかといった議論を避けて法案化した問題がある。次に、具体的に何が重要物資として規制の対象になるのかが、法律が成立してから、各主務大臣が裁量で決めるという点も危ういだろう。
 企業や個人にとって予見性を欠く中で、ひとたび主務大臣が対象にすれば、それまで取り扱い実績のある企業も計画を出して認定を受けたうえで、結果を毎年度報告する義務が生じる仕組みだからである。悪名高き昔の金融行政のように箸の上げ下げまで監視されかねないのではないだろうか。これでは、企業経営の自由や個人の人権の危機と言わざるを得ない。
 さらに、政府が金融機関の企業に対する融資にも手を突っ込める内容となっている点も危惧すべきである。政府がサプライチェーン上、重要な企業だと認定すれば銀行融資がついてくるので、とっくに破綻していなければいけないはずのゾンビ企業が跋扈して、健全な企業を窮地に追い込む事態が頻発する恐れがあるからだ。

 逆に、経済安全保障を確立するうえでは、一定の私権の制限が避けられないのも事実だろう。こちらは、連立与党の一角である公明党の反対で盛り込まれなかったと聞く。重要技術の開発支援のために新設される「協議会」について、当初案では、参加する民間人らを対象に機密情報へのアクセスを認める「セキュリティ・クリアランス」という名の資格審査制度を設け、資格を与える代わりに公務員並みかそれを上回る守秘義務を課す方策が含まれていたが、お蔵入りしたというのだ。こうした制度は必要だ。整備しないと、米英などの国々と機密を含む技術情報のやり取りをする協力関係の構築は難しいからである。

 岸田政権は、防衛の本筋の3文書(国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画)の見直しを先送りしたまま、今回の法案作りを急いできた。が、様々な懸念を払しょくするには、防衛政策をきちんと見直して、抑止力や打撃力の向上にどのような兵器が必要か絞り込んだうえで、それに必要なサプライチェーンをガラス張りにするといった手順を踏むべきだ。そのうえで、制限可能な権利の範囲についてのコンセンサスを作る必要があったのではないだろうか。

 一方、出口の議論で特に気掛かりなのは、「官民技術協力」の問題だ。日本では、学界の防衛アレルギーや、「投資家の評判」と「利益率」に拘る経営が多い企業の体質が仇になって、防衛関連技術の開発や、兵器の調達が円滑に進まない土壌がある。そこで、昨今の環境変化を訴えて学界の理解を得たり、国営の防衛産業を育成したりするような地道な努力が欠かせない。
 それにもかかわらず、岸田政権は、ほとんど国会審議も経ないまま、2021年度補正予算で先行的に確保した「経済安全保障重要技術育成プログラム」(予算額2500億円)を今後倍増するなどして、なし崩しに研究者や企業の一本釣りに乗り出すとみられている。そうした姑息かつ拙速なやり方では、問題がかえってこじれることになりかねない。

2022年02月28日

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