一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

パウエル元国務長官を悼む

 10月18日、米共和党の大御所的存在だったコリン・パウエル氏が、新型コロナウイルスの合併症のため、84歳で死去した。同氏は、米軍の制服組トップの統合参謀本部議長として湾岸戦争を指揮したほか、黒人初の国務長官に起用された。その後、何度も大統領候補に推されながら固辞したが、オバマ氏が黒人初の大統領に就くことに対しては党派の枠を超えて支援を惜しまなかった。トランプ前大統領の「米国第一主義」には批判的で、今年1月、トランプ氏に扇動された暴徒が連邦議会議事堂に乱入した際には「私はもはや共和党員を名乗れない」と言い切った。米国だけでなく世界が大切な外交・安全保障の羅針盤を失った格好である。
 現地メディアによると、パウエル氏は今年2月に2度目のファイザー製ワクチンの接種を完了したが、骨髄腫治療の影響で免疫の低下が懸念されていた。亡くなる前の週に、ブレークスルー感染を避けるために3度目の接種を受ける予定だったが、容体の悪化で実現しなかった。長引くコロナ危機下でのパウエル氏の死去は、ブースター接種の重要性を世界に示したとも言えよう。
 パウエル氏の生涯と功績を語るにあたって、まず押さえておくべきは、その生い立ちだ。同氏は1937年4月、スラムが進むニューヨークのハーレムでジャマイカ系移民の子として生まれた。ニューヨーク市立大学在学中に、予備役将校訓練課程(ROTC)に参加、1958年に陸軍に入隊した。しかし、まだまだ人種差別の激しい時代で、南部ジョージア州の陸軍基地で訓練を受けた時期には、家探しや外食など様々な局面で黒人であることを理由に不当な扱いを受けたという。
 ベトナム戦争に従軍後、首都ワシントンのジョージタウン大学でMBAを取得。ニクソン政権下で、米政府のリーダー養成プログラムであり、エリートへの登竜門とされるホワイトハウス・フェローを経験し、レーガン政権末期の大統領補佐官(国家安全保障担当)職を経て、1989年発足の第41代ブッシュ政権で黒人初の統合参謀本部議長に抜擢された。就任時のパウエル氏は52歳。米国史上、最年少の統合参謀本部議長でもあった。
 パウエル氏の名前が世界に知られるようになったのは、この統合参謀本部議長の在任中に勃発した湾岸戦争の時だ。1990年にサダム・フセイン大統領が率いるイラクがクェートに侵攻したことに対抗、翌91年1月に米軍を主力とする多国籍軍が「砂漠の嵐」作戦を開始。指揮にあたったのがパウエル氏で、40日あまりの短期間で、多国籍軍を勝利に導いた。
 湾岸戦争は、「米国にとって、武力行使は外交、政治、経済の手段を尽くした後に残る最終手段だが、いざ行使となれば自軍の被害を最小に抑えるため敵を速やかに屈服させる必要があり、最大限の武力を投入する」という原則に基づいて遂行された。この原則は「パウエル・ドクトリン」と呼ばれている。
 湾岸戦争の功績で、米国ではパウエル人気が沸騰、同氏はこの後、再三、大統領や副大統領の候補に推された。再選を目指していたブッシュ大統領が1992年の大統領選挙で副大統領候補に同氏を充てると報じられたのは、その最初のケースだ。しかし、同氏はいずれも頑なに固辞した。「黒人が大統領や副大統領になれば、暗殺されかねない」と危惧した妻の希望に抗えなかったためという。
 本人のキャリアの頂点となったのが、2001年1月から4年余り務めた第65代の米国務長官職だ。外交トップのポストで、第43代大統領のブッシュ氏(ジュニア)に抜擢された。
 このポストで、パウエル氏は国際協調派として、対外強硬派の新保守主義派(ネオコン、当時のチェイニー副大統領や、ラムズフェルド国防長官ら)と対峙、ブッシュ大統領のブレーキ役を務めたされる。
 しかし、国務長官退任後のインタビューや後に出版した自著で、自身の経歴上の「汚点」と認める失敗もあった。国連の安全保障理事会で2003年2月に演説、イラクが大量の化学・生物兵器を隠し持っており、世界の脅威になっていると訴えたのである。ブッシュ政権はこの演説を機に、同盟国のフランスやドイツの反対を押し切りイラク戦争に突入した。日本と英国はパウエル演説を信じ、戦争遂行に協力した。ところが、イラクで大量破壊兵器が発見されることはなかったのである。
 パウエル氏は国務長官退任後、この演説について、与えられた情報を十分に検証できていなかったことを認め、「(人生の)汚点となるだろう」と率直に非を認めている。日米政府の対応に比べれば、誠に潔い対応だった。
 その後、ライバル民主党のオバマ氏が黒人初の大統領の座を射止める過程とその再選で支援を惜しまなかった一方、同じ共和党のトランプ前大統領が米国第一主義に突き進む姿には危機感を露わにした。右傾化が顕著だった共和党で穏健派として警鐘を鳴らし続けたことは特筆に値する。
 歴代大統領からも、その死を悼む声が相次いだ。同氏を国務長官に据えたブッシュ氏は「多くの大統領がパウエル大将の助言と経験に頼った」と見識を称え、黒人初の大統領のオバマ氏は「彼は人種が自分の夢を制限することを拒否した」と生き様を称賛した。上院議員時代に協力して仕事をした経験のあるバイデン大統領は個人的にも友人だったと明かしたうえで、「彼は、米国の平和と繁栄を維持するには、軍事力だけでは不十分だと誰よりも理解していた」と強調している。
 米中対立が深刻化する中で、穏健な保守主義を志向し続けたパウエル氏を失うのは、米国のみならず、世界的な損失だ。慎んでパウエル氏の死に哀悼の意を表したい。

2021年10月25日

COLUMN

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