一般社団法人 グローカル政策研究所

町田徹 21世紀のエピグラム

バイデン米大統領の”失言“で裏目に出た
空母「遼寧」の太平洋での示威行動

 前回の本コラムで指摘した、中国空母「遼寧」による日米両国などを視野に入れた沖縄沖の太平洋海域での長期間にわたる示威行動は、皮肉なことに、中国の習近平政権の威信を傷つける結果になったのではないだろうか。
 というのは、バイデン米大統領は来日中の5月23日、岸田総理との日米首脳会談後の記者会見に臨み、米CNNテレビの女性記者からの台湾有事には軍事介入するのかという質問に、たったひと言、「それが我々の約束だ」と答え、従来の米国政府の方針より踏み込む決断を示唆したのではないかと取り沙汰させる状況を創出、中国外務省をおおいに慌てさせることに成功したからだ。
 このバイデン発言には、米政府の方針変更だ、いや従来の方針の範囲内だとか、あれは失言ではないか、いや失言に見せかけた意図的な発言だと、解釈を巡る議論が百出した。しかし、そうした議論はいずれも的外れで、バイデン氏が空母「遼寧」を繰り出した中国の示威行動に対するカウンターパンチを見舞ったとみなすのが妥当だと筆者は考えている。

 まずは、中国空母「遼寧」の示威行動からおさらいしておこう。中国初の近代的な本格空母「遼寧」が東シナ海方面から沖縄南方の太平洋に進出・展開したのは5月1日ごろのことだ。その後、ほぼ20日間にわたって、艦載機や艦載ヘリコプターの発着艦を繰り返していたことを自衛隊が確認。岸防衛大臣が5月20日午前の定例記者会見で、「作戦遂行能力を高めるための活動である可能性があり、防衛省・自衛隊として動向を引き続き注視するとともに、警戒監視活動に万全を期していく」と表明する事態になっていた。

 一方、歴代の米国大統領は、日本や韓国を訪問する際には必ず隣国の中国にも立ち寄ってきた。ところが、バイデン氏は、大統領就任後初めてのアジア訪問となった今回の日韓両国訪問にあたり、中国を素通りした。それどころか、訪日中には、日米首脳会談、クアッド4首脳会談、インド太平洋経済枠組み(IPEF)を通じて、中国の孤立化に腐心する構えを隠そうとしなかった。

 対抗上、中国は空母「遼寧」を押し出して執拗な示威行動を繰り返したというわけだ。空母「遼寧」が展開した海域は、米国から台湾に向かう途上にある。台湾有事の際に、中国海軍はこの海域において、空母を含む米海軍の艦船の進出を阻む力があると言わんばかりの軍事力を誇示したのである。1995年から翌96年に起きた「台湾海峡危機」の際には、中国海軍は空母を保有しておらず、米海軍が空母2隻を押し出してきたことに対して沈黙、退かざるを得なかった。しかし、今はこの海域での米中の海軍力は逆転しつつあると圧力をかけたというわけだ。

 こうした空母「遼寧」を投入した習近平政権の示威行動に、バイデン大統領は毅然とした態度をみせる必要があると感じていたのだろう。
 前述の会見で、記者がロシア軍が侵攻したウクライナで軍事介入しなかったことを引き合いに、「台湾有事の際、米国は軍事的に関与するのか」と質問したのに対し、「イエス。それがわれわれの約束だ」と明言した。歴代の米政権は、中国が台湾へ武力行使した場合の対応を明確にしない「あいまい戦略」をとってきた経緯があり、瞬く間に、バイデン発言はこの戦略の変更を意味するものだとの見方が広がり始め、すぐさまホワイトハウスが火消しに走った。バイデン氏はこの関連で過去にも同様の発言をしてホワイトハウスのスタッフが修正しており、失言だ、確信犯だと言った議論が広がったこともある。

 だが、政治家が同じ問題で何度も似たような失言をするとは考えにくい。しかも、軍事介入は必ずしも米軍による軍事力の行使を意味しているわけではない。ウクライナで行っているような軍事物資の提供も軍事介入の一形態である。その意味で、“失言”論争は無意味と言える。

 空母「遼寧」の示威行動こそ、軍事介入発言をしたバイデン氏の念頭にあったと考えるのが自然ではないだろうか。

 実際、当事者の一方である台湾は即座に、バイデン発言に対する謝意と歓迎を表明した。
 もう一方の当事者である中国は外務省の汪副報道官が「強烈な不満と断固とした反対を表明する」と猛反発した。翌日には、核兵器を搭載できる中国とロシアの爆撃機 合計6機が沖縄本島と宮古島の間や対馬周辺を含む東シナ海から太平洋にかけての広い空域を共に飛行しているのが確認されている。ロシアと共同で示威行動をエスカレートさせる挙に出たのだ。

 中国の、習近平国家主席は、この秋、異例の共産党総書記ポストの3選を目指している。空母「遼寧」の示威行動で、米国主導の中国包囲網作りをけん制しておきたかったのだろう。しかし、バイデン氏が軍事介入を明言したことで、逆に面目を潰された感を拭えない。

2022年05月30日

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