一般社団法人 グローカル政策研究所

N'est-ce Pas?

第1回連載

生まれ変わったら男に生まれて警察官になりたい。警察官、それも公安警察に。
捜査一課もかっこいい。悩むところだがやっぱり公安かなぁ…、暇なときはこんなことを考えている。
私は警察物のドラマやアニメが大好きで毎日のように見ている。国のために頑張る姿が純粋にかっこいいし、ホシ、ガサイレ、ヤマなど警察用語もかっこいい。制服もかっこいいし防弾チョッキも着てみたい。

ある時、本当に警察官と関わる機会があった。その警察官からは私が普段見ているキラキラしてかっこいい正義感のようなものを感じられなかった。服装は同じだが、見つめられた目の奥が淀んでいるように感じた。ひどくショックだった。私は生まれ変わったらこの人みたいになりたいのかな?悲しい気持ちになった。

よく、物事や人には表裏があるという言葉を聞く。私はその表現は少し違うように思う。表裏ではなく表面と本質なのだ。日ごろ私が見ていたのは表面上での警察でありあの時見た警察の目は本質の一部を垣間見た瞬間だったように思う。表裏は球体で言えば180度逆側であることになる。表面は球体の表面であり、本質は核の部分だ。美味しいお団子でも大切なのは表側なのか裏側なのかではなく、周りの皮なのか中身の餡子なのかではないか。また、皮と中身を一緒に食べるから美味しいのであって、表面も本質も大切でありバランスなのだと思う。

私は今雀士として競技麻雀の試合に参加し、前年度一つの女流タイトルを獲った。麻雀をはじめて3年目だが、最近迷いがあるように感じる。それは自分が麻雀の表面しか見ていないことに気づいたからだ。あるとき試合に集中できず困ったとき、私は自分の手牌しか見ずに麻雀を打っているんだと思い知らされた瞬間があった。麻雀は4人でやるゲームであり相手3人を無視していいものではない。表面しか見ていない私は本当に麻雀が好きなのだろうか?もしかして本質を見たとき、この競技を嫌いになってしまうのではないか?不安になった。今好きな麻雀を嫌いになりたくない。でもこのままではいけないと分かっている。

私の麻雀の師匠は麻雀歴48年、麻雀一筋で生きている人だ。彼からは人生を麻雀に捧げている覚悟を感じる。それは麻雀の本質をわかっているから、表面も本質も分かった上でこの競技がきっと好きなのだ。

本質をわかることが難しいのではなく、本質をわかろうとする勇気を出すのが怖い。でもこれに打ち勝たないと私の麻雀ははじまってすらいない。
週末は試合だが、不思議とものすごく勝ちたいという気持ちより内容のいい麻雀が打ちたい。
師匠がいつも、"結果よりプロセスだ"と言っている意味が、最近ようやく少しだけ分かった気がする。

うにふり

COLUMN

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